First Creation | 2007/08/26 |
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Last Update | 2007/10/19 |
結婚式の翌日。忘れられない 1 日だった。
ホテル・グランヒルに一泊した私は、昨夜、想定外の酒量を飲まされ、明け方、ひどい頭痛に襲われていた。あまりの痛みに耐えかね、フロントに行こうと部屋を出たところ、たまたま廊下で ( 後で聞いた話によると ) 5 次会! から帰ってきたらしい女性と目が合った。私は 2 次会で退散してこの有様なのだが、彼女は平然としている。しかも何人かと一緒に部屋でまだ飲む勢いである。酒に強い人が本当にうらやましい。それどころではない私は、エレベーターを降りてフロントに向かう。朝早くから迷惑かとも思ったが、そこは痛みの方が圧倒的に強い。遠慮がちにベルを鳴らす。出てこないから思いっきり鳴らした。
どういうわけだか知らないが、こんな朝早いエントランスに人の姿がちらほら見られる。 5 次会から帰ってきた面子だろうか。しばらく待つと、初老のおっちゃんが出てきて、頭痛薬は置いてないと言われた。家庭薬程度も常備してないホテルがあるとは驚きだった。客観的に考えるとホテル側に義務はねぇ! で終わってしまうのだが、主観的に考えると薬くらい常備しとけボケナス! である。人間の身勝手さを身をもって具現している私を誰か応援してください。
起きてからベッドの上で 30 分も自問自答し、痛みに負けてついにはフロントに相談しようとしていた身にとって、夜勤のおっちゃんの言葉は、地獄への片道切符に等しかった。明け方で側のドラッグ・ストアはやってないし、三沢にあるのかどうかは分からないがコンビニと薬屋がセットになっているようなところでも薬剤師がいないから販売はしてくれないだろうし、薬屋が開く 10 時まで無限の時間 ( アインシュタインは言った。「恋人と一緒にいると時間は短くなるが、焼けたフライパンの上では 1 分が 1 時間にもなる。これが相対性理論だよ(嘘)」 ) を苦しまなくてはならないかと青ざめていると、何と、同行者が近くのホテルから薬を貰ってきてくれた! しかもコンビニで二日酔いの薬とかも買ってきてくれた。もう、神である。臓器移植が必要になって適合するから腎臓を一つくれと言われたら差し出してもいい。むしろ貰って欲しい。
臓器移植で思い出したが、私は臓器移植が必要になった場合でも移植はしないと決めている。そのときは寿命だったと思えばすむことだ。普通、残りの寿命は分からないものだが、それが分かればいくらかは有意義に使えるはずである。そう思っていればいい。自分の人生だからその程度の自由は許されるべきだろう。しかし痛いのだけは嫌なのでモルヒネはたくさんください。
というわけで、無限の感謝を示して薬をいただいた。即効性のある飲み方をお教えしよう。 1 粒を普通に飲んで、もう 1 粒を噛み砕く。 30 分後に眠れていたから効果は保障つきだ(と思う)。
8 時ころ目覚めると、若干頭が痛いものの明け方の頭痛に比べればまるで子供だましである。出直して来い。 10 年早いわ。痛みがなくなると、痛みに対して気が大きくなる性分である。劣勢のときは、「鎮まってください、大明神様」と弱気になるのは内緒だ。
さらに痛みの息の根を止める武器が手に入った。 5 次会に出席していて、明け方から連絡を取ろうとして取れなかった、昨日一緒だった人が、強力な痛み止めを提供してくれたのである。それはボルタレンという名前で、病院で処方されて一般には売られていない薬だった。まあここで検索すれば売ってもらえるらしいが。ほぼ治りかけていたので 1 錠だけ飲んだ。これまた噛み潰す。そしたら強烈にしびれる。苦い、えぐい。これは効きそうだ。昼過ぎくらいに頭痛が消えていることに気づいたので、即効性などの性能は分からないが、結構効く部類だろう。私は市販薬の EVE かバファリンでいいや。
今度から旅するときは、頭痛(鎮痛)薬、胃薬、咳止め、熱さまし、包帯、絆創膏、あと何かくらいは持っていったほうがいいと学んだ。家には頭痛薬と先日買った咳止めくらいしかないが・・・
と言うわけで、 10 時頃ホテルを出立した。慣れない RX-8 を転がして一路八戸へ。目的は八食センターである。八戸生まれで、実家より実家らしい叔父の家があるにもかかわらず、八食センターに訪れたのは初めてである。まるっきり観光客よろしく鮮魚やら土産ものやらが並ぶ売り場を歩いていく。ものめずらしさで購買意欲はそそられるが、ホテルで朝食を食べたせいか、買うまでには至らない。会社用にみやげ物を買って、岩手のリアス式海岸を観光するため、一路岩手へ。
階上岳を越え、久慈に着いたのが 14 時過ぎだった。海岸沿いの道をドライブするが、慣れない車を運転する身にとっては、対向車とすれ違うのもままならないほど細い道路を運転するだけで気を使ってしまい、風景など観賞できるはずもなかった。
車からの風景
リアス式海岸
景勝地
海岸線沿いは細くて怖いので、 45 号線を通って浄土ヶ浜に。
浄土ヶ浜に着いたのが 17 時だった。車進入禁止の道路をてくてく歩く。 ( 看板の案内によれば) 13 分かかって浄土ヶ浜に着いたものの、海岸は砂浜ではなく砂利浜で、勝手に白い砂の海岸と思っていただけに落胆した。
浄土ヶ浜
砂利浜はイマイチだったが、海の透明度は高く、風景としては綺麗だった。寝転がると痛くて長居はできなかったのが残念。こっちは上りに 17 分 ( 看板 ) もかかって歩いているのに、どういうわけか関係者とも思えない連中がバンバン車で上っているのはどういうことだちくしょう。
日も暮れかけてきた。高速で帰ってしまおうということで、 MAP を見ると高速のある盛岡あたりまで岩手を横断しなければならないことが分かり愕然。峠道だから 100km くらいはありそうだ。しかし 45 号線を南に下り続けると、いつになったら帰れるか分からないので、覚悟を決めて横断することにした。
カーナビに従い、 106 号線を西に走らせる。陸中川井駅を過ぎ、 340 号線との分岐点でカーナビは進行方向の左を指し示す。まっすぐ進むと盛岡の看板があり、本当に左で正しいのかよと思いながらも車を走らせると、どんどん寂れた道になっていく。遠野へ抜ける峠道らしく、どうやら南西方向へ進んでしまったようだ。南に進む分、距離も長くなる。このナビは、人を惑わせるのが得意だ。八戸でも、岩手へ通じる道を、右折、右折、右折で一周させた実績のある兵 ( つわもの ) である。スーパー・ファジー・NAVI の名を冠する私とタメを張るとは、なかなかやる。
日が暮れた。あたりは暗くなり、道路は道路と呼べない道に。笹谷峠みたいに細いし、とんでもなく曲がりくねってるし、凍結用の砂が置いてあるんだか何だか知らないが、社の形をしたオブジェが怖えー。しかもところどころ砂利道になっていて速度を落とすものだから一向に進まない。
遠野市の看板が目に入ってからも、建造物は一切見られず、遠野ってどこだよー、通り過ぎちゃったのかーとか言いながら西へ向かい続け、いつの間にか遠野市を通り過ぎた ( と思う ) 。
さらに車は西へ走り続け、その頃になると道路は広くなり、文明の兆しが見え始めるようになった。何か食べようと思いつつもこの時間となると大型の店しかやっておらず、チェーン店ならどこで食べたって一緒だろということで、帰ってから食べることにして北上あたりで高速に乗った。
21:30 泉 IC 到着。三沢からおよそ 12 時間後。 2 日間で唯一の贅沢、鮨を食べて帰宅。 その割りには 2 人で \2,000 と安かったが・・・長距離を走って食欲がなかったのだろう。その距離、なんと 510km 。
翌日は出社したものの仕事にならず。終了時間になるやいなや同僚たちには目もくれず帰宅である。
教訓。細道のドライブは 120Km まで。夕方になったら旅館なりホテルなりに泊まるべし。じゃないと水曜どうでしょうと何ら変わらない。こちとらバス芸人じゃないんだよ。