First Creation: 2005/12/19
Last Update: 2006/01/07
自然との共存を謳う杜の都は今日、北国らしい街並みに変貌を遂げていた。
深深と降り積もった雪が街路樹にクリスマスの装飾を施し、白に染まった風景は朝日を浴びて輝いていた。
遅刻しそうな学生や、パンプスを履いて歩きにくそうにしている OL、寒さに背を丸めて歩くサラリーマン、果ては勤務が明けたばかりの人々はその瞬間、光の風景に溶け込み、あたかも祝福された風景の一部と化した。
小説にありがちなフレーズが、住人にとってはひたすら迷惑だ。凍った雪が歩きにくいことこの上ないわ、車が大渋滞するわ運転していて眩しいわ、果ては地下鉄まで混むわ、いいことがない。喜んでいるのは低学年の小学生とページェントで盛り上がっている恋人たちだけだ。
世の中にはいろんな性格の人間がいる。性格が良かったり、がさつだったり、優しかったり、怒りっぽかったり。
私の場合「繊細な性格をしている」ということになるだろうか。
・・・・・
いや、分かってる。とりあえず聞いてもらいたい。
帰り道のことだ。その坂は 10段程度の坂が 3つ続く、真ん中に自転車用通路のある階段だった。坂の 1つを攻略するごとに行く手をさえぎるフェンスが邪魔である。
階段は溶けた雪が凍りつき、歩くのでさえもやっとという有様だった。私も特別仕様の靴でなければ手すりにつかまって上っていただろう。
その階段の 2つめの坂の真ん中あたりで、自転車を押していた女生徒が、坂で自転車が滑り、上れなくて難儀していた。
周囲には人影もなく、私は手伝いましょうと言って自転車の後ろを押してあげた。
2つめの坂を上りきった時、女生徒が言った。
「ありがとうございました」
「大丈夫ですか?」
3段目も押しましょうかという意味を込めて私は訊いた。
「はい、大丈夫です」
私はそのまま帰途についた。
道すがらふと、「性格の良い人間ならあのシーンは最後まで手伝っただろうか」、「世間ではそれが当たり前なんだろうか」という疑問が頭をよぎった。
人のよさそうな笑い目の笑福亭鶴瓶の顔が頭に浮かんだ。以前テレビ番組で、彼が新幹線で見ず知らずの聾唖の方と仲良くなり、2時間も手話で話して楽しんだというエピソードを聞いたことがある。彼のような性格をしていたら、3つめの坂も自転車を押してあげただろうとは思う。
もしくは、初々しい女子高生(もしかすると中学生)に対して優しく振舞わないオレは男失格か?
「困っているか」と問われると、とっさに「大丈夫です」と答えてしまう人間の性質を読み取ることに頼らず、ただただ直感的に手伝ってあげる人情を持つべきだったのだろうか。
私はそれが表面上のことであれ、困っていないという相手に、親切を押し売りする気にはなれなかった。もし相手が困っていると返答すれば、男だろうと老婆だろうと手伝うことにいささかの逡巡もなかった。
これこそが、私が繊細であるという証なのである。
基本的に親切であり、相手の意思を尊重する。言い換えると、他人に干渉しない。これを自分に当てはめると、誰にも干渉して欲しくないということだ。
世間体を気にするがゆえに、女性の弱みにつけ込むようなことはしない。他人に構えてしまうのが先に立ってしまうのである。
押し付けられると反発する。
火の粉が自分に降りかかってきた場合は IFEX インパルス消火システムやポンプ者をもって消火に当たる。凶悪犯に対してミサイルで対応するようなものだと言われようと、後先は考えない。
しかし、星一徹のように自由な行動をしていては生活に支障をきたす。そこで、自分なりの処世術として「しっぺ返し」という戦略をとっている。囚人のジレンマが元ネタで、裏切られたら裏切り返すというロジックである。
私が優しく見えるとしたら、私からは攻撃しないから攻撃してくれるなという意思表示である。というわけで、まともな性格をしていれば、私とはそれなりに友好的な関係でいられるはずだ。
私の趣味はアウトドアからインナースポーツ、変な小物集め等、意外に多岐に富んでいる。
しかし、である。例えば釣りを取ってみても、交友関係は同行する数人の友人だけで、ポイントは海や川に決まっているし、知らない人間と触れ合う機会はほとんどない。スノーボードだって、リフト券を購入するときにお姉さんと話すくらいで、大げさに言えば、その辺のコンビニで買い物をする引きこもりと同程度の交友関係なのである。
親しい友人とは長い年月が経過するうちに疎遠になってしまった。また、他人に対してはアクティブに活動する性格ではないため、いまや気のおけない友人はごくわずかだ。
来るものは少なく、呼び込みもしない。そして去るものは追わないものだから、休日に遊べるくらい親しい友人が少ないわけだ。
これが自分で描いた自画像である。自分で描いているがゆえに美化されている可能性はあるし、あえて書かないこともある。これが事実か虚構かは、今後の人生で証明していくことになるだろう。
これは単に、60億パターン中の 1つがこんな性格であるというだけの話で、さして珍しいものではない。いたってシンプルな行動原理をしていると当人は思っている。ただそれが他人にはなかなか理解されないだけで。その代わり、私も他人の考えが分からない。
「あいつのことは良く知っている」と軽々しく口にする人間は、基本的に信用できないと思うのだが、他の人はどう思っているのか興味深い。
世の中は相対関係で成り立っている。
「深淵を覗きこんでいると、深淵もまたお前を見返すだろう」
by ニーチェ